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2017-07

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「君の名は。」を見る。 - 2017.03.27 Mon

 新海誠という監督を識ったのは、2004年に発表された「雲の向こう、約束の場所」が、毎日映画コンクール・アニメーション映画賞を受けたことが切掛と言えよう。この賞の選考委員として任命された人たちの信頼できる鑑賞眼については、これまでの受賞作を眺めて解る。まして同年は、宮崎駿による大作、「ハウルの動く城」の発表と重なっていたのだから、視聴者の期待は高まらざるをえなかった。こうした事情によって、新海誠は、アニメ視聴者にとって、今後の活躍に注目したい新人の一人となった。2016年の8月に発表され、現在でも公開上映の続く「君の名は。」というビッグ・タイトルが、アニメ映画界を席巻する以前から、よく知られた存在であった。



作品を通じて見る、新海誠作品の特徴

 監督としての処女作には、ほとんど全ての主題の萌芽を見ることができる、というのは、アニメのみならず、芸術作品すべての通例と言えるだろう。その多分に漏れず、新海誠の監督としての特徴は、「雲の向こう、約束の場所(初長編作品)」から、「君の名は。」に至るまで、狷介のごとく見ることができる。何を差し引いても述べねばならないのは、彼の手掛ける風景の鮮明な描写手法であり、何よりそれを実現している、光線への意識である。私たちが物を見る上で、光の要素を欠かすことはできない。視覚において決定的な役割を担う光は、環境中の無数の面に反射して錯乱する。アニメを映すカメラの挙動につれて、光のスペクトルが多彩な輝きを放ってくることが、私たちに、画面の外から絵を眺めているのではなく、画面の内部世界に没入して、実際の眼でその風景を眺めている感を与えるのである。

 それだけではない。新海誠作品の主人公、ならびに登場人物の大凡を、圧倒的に青年期の若者たちが占めることは、この風景の鮮やかな描写と関連がある。刻々と推移する光と物体の入射に、ほんの短い青年期の人物たちの繊細な感情を見てとるのでも良い。私としては、そうした美しい風景の中に動く人物たちに、視聴者各人についての青年期・思春期が投影された時、そこで動かされた心向きが、自分の過去を振り返ってみて今だから思える理想を、呼び覚ます効果があるのではないか、と考えたいところだ。実際、新海誠作品における脚本として、いわゆるSFの展開が転機となること、一見するとリアリティーがあるのにもかかわらず、人物同士の触れ合いがほとんど理想に過ぎることは明らかな特徴である。これらを単なる脚本の瑕瑾として評するのは早計と言うほかない。私たちが過去・現在に求める理想を語る上では、これらを抜きにすることはできず、ましてその表現するところが、新海誠の、監督として長らく取り組んできたテーマであることは明白だからである。

 

「君の名は。」の設定の難しさ

 あらすじは割愛するが、一部晦渋な表現があるにはある。主人公の「立花 瀧」は、ヒロインである「宮水三葉」と身体を入れ替えるわけだが、その契機となる組紐はともかく、何故入れ替わりが行われたのか、という根本的な原因は、一見したところで確かなものとはならない。「立花 瀧」が糸守町の御神体のもとに訪れた際には、



 他にも、いくつかの伏線があり、決して映画だけで読み解けないわけではない。また、物語の補足を含めて、小説版が発刊されているとも聞く。しかし、いずれにしても、物語の詳細な設定まで解釈させることに親切な作品とは言えず、評価にしても、映画単体で下されるのが普通である。それでは、こうした設定の難しさが、「君の名は。」の評価を落とすのかと訊かれれば、私としては、まったくそうとは思わない。

 本作品において、1200年前の彗星にまつわる裏の設定とは、脚本に一貫した整合性を持たせるための土台であり、それ以上ではない。「君の名は。」のテーマについて考えてみた時、そこに、1200年前の彗星とか、糸守町における宮水家の役割だとかが入り込む余地はどこにもないのである。もし、「創世のアクエリオン」のように、主人公とヒロインが、1200年前の生まれ変わりだとするなら、そしてその生まれ変わりという設定が、二人の関係性について重要な役割を担うのだとするなら、これは無視できない。しかしながら、「君の名は。」における「立花 瀧」と、「宮水三葉」は、身体の入れ替わりという出来事を通じて独特の関係性を築きあげているのだから、本作品の裏の設定を、あたかも推理小説のラスト・シーンのように、終盤で表に開示することは、むしろ本来のテーマから逸脱する怖れがあり、蛇足である。



「君の名は。」の中心的テーマ

 「立花 瀧」と「宮水三葉」の関係性は、入れ替わりという特別な出来事を通じて築かれたものであることは先に述べた。「宮水三葉」は、田舎の倦んだ生活から、都会への憧れを募らせていたわけだが、その憧れが二人を結んだという見方もできるだろう。宮水家の使命という役柄を前面に押し出すのではなく、思春期ならではの憧れが入れ替わりの起点となっていることは、本作品のテーマを解釈する上で、重要である。

 二人の関係性は、通常、男女が親密な関係に達するまでに経る過程とは大いに異なる。「立花 瀧」と「宮水三葉」が直接出逢うことなしに、互いの生活に深く関わることによって、親密になるのである。入れ替わる生活が、都会と田舎という隔たりのある場所を舞台とする設定は、二人の安易な邂逅を許さない。ある事情から、電話で直接対話することも叶わないので、文通のような手段を採ることが精々の乏しい交流が、電気機器の発達する前の、一昔前の恋愛を自然と思わせる。こうした、いつ逢えるのだろうか、恋仲として結ばれるのだろうか、と視聴者をもどかしくさせる手法は流石に巧い。ここで見られるのは、新海誠作品で何度も試行されてきた、毎度の特徴の一つなのである。この特徴とはすなわち、「特別」で、「心に深く根を張る」出来事によって、登場人物の男女間が切っても切り離せないような仲になる、というものである。

 「雲の向こう、約束の場所」であるなら、「ヴェラシーラ」の完成を三人で目指し、こっそりと集まったことがそれにあたり、「秒速五センチメートル」であるなら、大雪の中、逢いにいったことがそれにあたる。こうした「特別」で「心に深く根を張る」出来事によって結ばれた仲は、たとえ切り離されたとしても、それぞれの思いだけが後年まで残ってくる。言うまでもなく、これら二作でも、「君の名は。」と同様、男女の関係はやむなき理由によって切り離される運命を迎える。新海誠の真骨頂とは、思春期の「特別」な出来事を通じて築きあげられた関係が切り離され、恋慕の思いだけを双方が抱えることの、抒情性にあるのである。

 こうして新海誠の作品群から眺めてみると、「君の名は。」という作品が、彼の年譜に連なる、集大成的な位置づけのものであることが確認できる。



「君の名は。」に対する批判

 「君の名は。」における、最大の瑕瑾は、「名」を「忘れる」という現象に対する、意味づけの失敗にある。「忘れる」現象は、「秒速五センチメートル」でも扱われてきた、新海誠のテーマの一つだが、「秒速五センチメートル」において、長い時間の経過がヒロインに主人公を「忘れ」させたことは、却って思春期の「特別」な出来事を、視聴者に意味づけていた。思春期とは、大人と子どもの境の、「黄昏」のような一刻である。主人公の心だけが未だ、ヒロインの影を追う向きを見せることは、大人になりきれない、どうしても吹っ切れない思いに対して、味わいのある抒情性を生んでいた。

 一方、本作品において、「忘れる」原因そのものが明確ではないことは、思春期へのぼんやりとした追憶に、歳月だけではない、SFの要素を絡ませており、それほどの抒情はない。なぜ「忘れ」てしまったのか、と考えてみた時、それがほんの短い刻である思春期との訣別だとはっきりと言えず、実質、思春期とまったく無関係に「忘れる」要因を作り出してしまうSFを持ち出してしまったことは、構成如何によって、明らかな失敗となるだろう。思春期だからこそ経験できるSF(代表的なのは、となりのトトロ)として丁寧に描くことができれば、この問題はクリアされるが、本作品において、それを果たせているかどうかは疑問である。確かに、入れ替わりという出来事に「特別」な意味を生んだのは、彼らが思春期にあるからこそだが、その入れ替わりという出来事と、「名」を「忘れる」出来事との連関については、最後まで曖昧なままである。何か他のSF要素が介入しているものと推察できるが、それならそれで、疎かにせず、しっかりと描写すべきであった。何しろ、作品のタイトルであり、本作品の肝となるのだから、これを省いてはならない。
 つけ加えるなら、「名」に関する挿話がないことは、それを忘れることに対して、視聴者の感情を煽らない。「忘れる」ことに対して、何か物足りなく感じてしまうのは、こうした理由がある。



総評
 
 長くなったが、総評をもって結びとしたい。監督として、新海誠は、既に独特な才覚をもっていることは明らかであり、これを他者の作品と比べることは、ほとんど意味をなさない。再々挑戦の末に発表された「君の名は。」は、それだけに卓越していたが、そろそろ自分の得意な領域から離れて、違うテーマに取り組む姿勢を見せてもよかろう。

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wardで見るんじゃない、心の目で見るんだ。 - 2017.03.17 Fri

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「響け!ユーフォニアム」を見る。 - 2017.03.12 Sun

 本記事では、2015年の春から夏にかけて放映された、「響け!ユーフォニアム」を教材として、アニメの演出における基礎的な解釈法について書くことにする。わけても、アニメ映画については、かねて日本の文化庁によりアニメーション部門の賞が開催されてきたとおり、日本独特な立ち位置をとるアニメーション文化、ならびに、その芸術性については確かな評価を受けていたものだが、近年、めざましい作画技術の向上から、1クール13話という、映画と比して予算も人員も少ない中で制作されたアニメについても、侮り難くなってきているのが現状である。高まった作画技術によって、演出という側面について熟考を重ね作成されたアニメは、本来視聴者に求められてきた娯楽性のみならず、芸術性という新たな側面を提供することにつながってきた。アニメを視聴する構え方、すなわち脚本とは別の角度から丁寧に吟味していく価値が、1クール13話のアニメ作品にも、漸く生まれつつある。



「響け!ユーフォニアム」について。

 一般的に、小説を原作としたアニメは構成の纏まりに欠ける、というのは、ありがちな問題設定である。ここで言いたいのは、「響け!ユーフォニアム」が、実際にそうであることではなく、そうなる蓋然性を、その題材からして特別に引き受けてしまっているということである。高校の吹奏楽部が舞台であることは、焦点を当てなければならない人物の数を必然的に増やすことになるだろう。 糅てて加えて、登場する人物たちの学生という立場が、彼ら自身のあやふやな進路を見定める岐路に立っているということを示唆する点において、各人について極めて慎重な心情描写が求められることは、この「響け!ユーフォニアム」を制作する上で、大きな壁になることが予想できる。音楽科が設置されていない高校を舞台とするのは甚だ巧いが、上記の困難を考えると、原作を一歩進み出た果敢な構成を試みるというのも、一つの決断であったような気がする。

 吹奏楽部という、音楽がメイン・テーマとなるアニメだから、なかでも楽器の演奏、合奏のシーンについてはこの上のない配慮を要する。ずばり見所は、最終話付近で描かれるであろうコンクールの合奏のシーンであるが、そこではその瞬間の演出だけではなく、それまでの人物関係について、どれだけ丁寧に描くことができたか、ということが、評価の分かれ目になるだろう。その点、第一話の冒頭で、「ダメ金」という結果だけを表し、実際の演奏は敢えて省くという構成手法は、認められてしかるべきである。



人物の心情を描写する、表情とカメラワーク


 アニメを視聴する上で、絶対的に注目しなければならないのが、この2つである。何枚もの静止画を少しずつ描き分けて連続的に提示するのがアニメの手法であることは周知だが、絵であるという要因が、実写とは違って、人物の「演技」という見方をいくらか妨げていることは惜しまれる。声優の演技こそ、迫真・棒読みなどと評価対象に含まれがちなのは、それが実際に人が演じているという前提があることは推察できる。しかし、人物(キャラクター)を描いているのも、また人であるということには留意したい。しかも、絵であるということが、現実的にはありえない広域な表現・演出を可能にしてくれるのである。

 たとえば、「響け!ユーフォニアム」の第一話の末尾において、

無題

 これは、同じクラスの友人から、主人公が吹奏楽部に誘われた時のシーンになる。「響け!ユーフォニアム」の構成的特徴の1つとして、主人公である「黄前 久美子」の、吹奏楽部のコンクールに対するどっち付かずな態度が、終盤に差し掛かるにつれて、明確な方向性を持つことが挙げられるわけだが、少なくともその芽となるものが、既に「黄前 久美子」の中で、ある無自覚な熱意として育ちつつあることは、このシーンから読み取ることができる。カメラは、およそ三秒もの間、「黄前 久美子」の顔だけを写すのに尽く。表情が変わることもないが、そのことによって、彼女の瞳の輝きだけが、視聴者の印象に迫ってくる。目は口ほどにものを言う、との俗諺があるように、「黄前 久美子」というキャラクターは、ここで、吹奏楽部・コンクール・楽器に対する隠された熱意を、そのアニメならではの演技によって示そうとしている。




 選択される音楽の、物語に及ぼす緩急

 アニメにおける名作を探すための、手っ取り早い方法が1つある。BGMの挿入、そして選曲に気を遣っているアニメの殆どは、演出に真正面から向き合っていると言える。「響け!ユーフォニアム」において、その題材から、特に繊細な注意を払わなければならない演出手法であるが、残念ながら特筆すべきところはない。どうやら演奏のシーンでは、その音源の取得を実際の学生に協力してもらったようだが、そのような労苦が、視聴者にとってどれほどの意味合いを果たすのかは疑問である。何より、テーマソングが個人的に気に入らない。明るい曲調なのは好きにすれば良いが、本編における中心的テーマの、学生の内部で揺れ動く音楽に対する心情は、けして明るさだけということはないはずだ。このオープニング・テーマから本編の話に移行する時、音楽の曲調とのギャップにはうんざりさせられる。




 構成

 構成とは、膨大な量の原作、および脚本を、いかにアニメの尺に収めるかということについて言及したものである。これが疎かにされると、視聴者にとって、唐突と思われるような展開になったり、せっかくの締めに感情が追いつかないということもある。ここで重要なのは、原作・脚本と、構成とは、別の概念として表されるということである。たとえ原作によって丁寧に進められている物語でも、アニメという違う媒体として発表する上では、単純に、視聴者の体感として進む時間のスピードが異なるのである。なにしろ、アニメは文字の代わりに絵で表現する事情があるわけだから、情景の描写にしても、かかる時間は極めて少ない。

 「響け!ユーフォニアム」における、最大の瑕瑾が、構成の破綻にある。「黄前 久美子」と「高坂 麗奈」は、同級生という壁を越えて、特別な関係性を築きあげるわけだが、その描写は、いささか急過ぎる。「黄前 久美子」が、「高坂 麗奈」の楽器に対する真摯な心向きに惹かれていることは、「黄前 久美子」の人物的性質からして丁寧だと言える。しかしながら、「高坂 麗奈」が、「黄前 久美子」に対して、「愛の告白」をする理由は、「高坂 麗奈」に欠けている。「特別になりたい」、という学生らしい心情を抱える「高坂 麗奈」は、「だめ金」の受賞の際、悔しがることもない態度を見せる「黄前 久美子」の中に、自分をしっかりと持っている特別さを見るよりも、むしろ、他人と合わせてなあなあに練習してきた一般的な学生の側面を見ようとするのが、普通ではないのか。たしかに、「思ったことをそのまま口にして言う」・「七年もの長い間、ユーフォニアムを続けてきた」という要素があるにはあるが、それだけでは物足りない。「加藤 葉月」や、「川島 緑輝」が言うように、「黄前 久美子」は、人から見て、どこか冷めた人物として映るはずなのである。

 作品における中心的な関係性が、このような瑕を負ってしまうと、せっかくの「高坂 麗奈」の意外な弱さという魅力が損なわれる結果になるだろう。第一話の冒頭を、私は先ほど褒めはしたが、もっと丁寧に描くことができたはずである。これは余計かもしれないが、「泣くほど嬉しかったんだ」という台詞は省き、「よかったね、金賞で」という、どこか彼女自身、素直に納得しきれていない表情と声質で徹頭徹尾仕上げることができれば、その後の高校の再会から、二人の特別な関係性にまで、鮮やかな橋が架けられたことだろう。
 
 


これまでの全ての記事に1拍手されているな。それは私だ。 - 2017.03.02 Thu

ブログには、バトンという便利システムがあるので、本記事ではそれを扱う。

2016年に放映されたアニメの内から、バトン作成者によって100本まで厳選されたものを評価しろとの趣向らしい。

もちろん、一年に放映されるアニメは100本を超えるので、この厳選方法はおおよそ恣意的であると予想できる。

というのも、私が去年もっとも楽しく視聴することのできた、「フリップ・フラッパーズ」が評価対象にないからである。

評価方法は以下の通り。
・100点満点
・未視聴の作品には、「X」と記載。

評価基準については解説と併せて後述する。これから視聴する上での、参考となれば幸いである。


2016年アニメ100タイトル簡単評価バトン

Q1 銀魂
A1 10
Q2 亜人
A2 1
Q3 だがしかし
A3 0
Q4 赤髪の白雪姫
A4 0
Q5 暗殺教室 2期
A5 1
Q6 GOD EATER
A6 X
Q7 僕だけがいない街
A7 20
Q8 紅殻のパンドラ
A8 0
Q9 灰と幻想のグリムガル
A9 40
Q10 デュラララ!!×2
A10 0
Q11 ラクエンロジック
A11 0
Q12 ブブキ・ブランキ
A12 0
Q13 昭和元禄落語心中
A13 0
Q14 魔法つかい プリキュア!
A14 0
Q15 この素晴らしい世界に祝福を!
A15 50
Q16 無彩限のファントム・ワールド
A16 0
Q17 ナースウィッチ小麦ちゃんR
A17 1
Q18 アクティヴレイド 機動強襲室第八係
A18 0
Q19 PHANTASY STAR ONLINE2 THE ANIMATION
A19 X
Q20 GATE 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり 炎龍編
A20 0
Q21 ハルチカ -ハルタとチカは青春する-
A21 1
Q22 霊剣山 星屑たちの宴
A22 0
Q23 最弱無敗の神装機竜(バハムート)
A23 0
Q24 ディバインゲート
A24 0
Q25 うしおととら
A25 1
Q26 ふらいんぐうぃっち
A26 X
Q27 ハイスクール・フリート
A27 0
Q28 クロムクロ
A28 1
Q29 テラフォーマーズリベンジ
A29 X
Q30 学戦都市アスタリスク
A30 0
Q31 マクロスΔ
A31 20
Q32 くまみこ
A32 0
Q33 12歳。~ちっちゃなムネのトキメキ~
A33 0
Q34 ばくおん!!
A34 0
Q35 聖戦ケルベロス 竜刻のファタリテ
A35 0
Q36 ハンドレッド
A36 0
Q37 ジョーカー・ゲーム
A37 1
Q38 双星の陰陽師
A38 0
Q39 文豪ストレイドッグス
A39 0
Q40 アイカツスターズ!
A40 0
Q41 あんハピ♪
A41 0
Q42 ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?
A42 0
Q43 甲鉄城のカバネリ
A43 20
Q44 坂本ですが?
A44 0
Q45 迷家-マヨイガ-
A45 0
Q46 キズナイーバー
A46 0
Q47 ビッグオーダー
A47 0
Q48 逆転裁判
A48 X
Q49 境界のRINNE
A49 20
Q50 エンドライド
A50 0
Q51 タイムトラベル少女~マリ・ワカと8人の科学者たち~
A51 X
Q52 斉木楠雄のΨ難
A52 20
Q53 ねじ巻き精霊戦記 天鏡のアルデラミン
A53 0
Q54 Fate/kaleid liner プリズマ☆イリヤ ドライ!!
A54 X
Q55 ジョジョの奇妙な冒険 第四部 ダイヤモンドは砕けない
A55 X
Q56 Re:ゼロから始める異世界生活
A56 30
Q57 アンジュ・ヴィエルジュ
A57 0
Q58 甘々と稲妻
A58 X
Q59 あまんちゅ!
A59 X
Q60 orange
A60 X
Q61 この美術部には問題がある!
A61 0
Q62 ベルセルク
A62 1
Q63 ラブライブ!サンシャイン!!
A63 0
Q64 Rewrite
A64 0
Q65 クオリディア・コード
A65 0
Q66 テイルズ オブ ゼスティリア ザ クロス
A66 0
Q67 ReLIFE
A67 X
Q68 D.Gray-man HALLOW
A68 X
Q69 モブサイコ100
A69 X
Q70 91Days
A70 X
Q71 NEW GAME!
A71 0
Q72 タブー・タトゥー
A72 0
Q73 美男高校地球防衛部LOVE! LOVE!
A73 0
Q74 DAYS
A74 X
Q75 レガリア The Three Sacred Stars
A75 X
Q76 ろんぐらいだぁす!
A76 X
Q77 ガーリッシュ ナンバー
A77 X
Q78 魔法少女育成計画
A78 X
Q79 ユーリ!!! on ICE
A79 30
Q80 3月のライオン
A80 30
Q81 舟を編む
A81 X
Q82 うどんの国の金色毛鞠
A82 X
Q83 ALL OUT!!
A83 X
Q84 WWW.WORKING!!
A84 0
Q85 ステラのまほう
A85 X
Q86 SHOW BY ROCK!!#
A86 0
Q87 競女!!!!!!!!
A87 X
Q88 灼熱の卓球娘
A88 X
Q89 ViVid Strike!
A89 20
Q90 装神少女まとい
A90 0
Q91 夏目友人帳 伍
A91 30
Q92 タイムボカン24
A92 1
Q93 タイガーマスクW
A93 0
Q94 ドリフターズ
A94 1
Q95 響け!ユーフォニアム2
A95 10
Q96 うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVEレジェンドスター
A96 0
Q97 ccultic;Nine -オカルティック・ナイン-
A97 60
Q98 Lostorage incited WIXOSS
A98 X
Q99 ポケットモンスター サン&ムーン
A99 X
Q100 機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ
A100 80

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「龍の歯医者」を見る。 - 2017.02.26 Sun

 鶴巻和哉の年譜を見ると、その監督作品の一覧からは、すでに一家を成していると言えるほどの才名な作品が並ぶ。この人は、OVAなり映画なり、短編を手がける仕事が多いからか、脚本を丁寧に組みあげていくのではなく、印象の強いシーンを感覚的につなぎあわせていく手法に特徴があると私は見る。しかし、そのように視聴者の感性に依拠する手法は、ただちに作品のテーマそのものを視聴者に訴えかけるものではなく、視聴後に残るものがたったいくつかのシーンだけ、という欠点を抱えることになるはずだ。たとえば「フリクリ」は、2000年に公開された鶴巻の初監督作品だが、作画のよさ・雰囲気のよさこそ語られはしても、その内容・テーマ性にまで及ぶことは稀である。なぜなら、一見しても理解が浅く、他人との議論さえ成立しないからだ。同様のことは、映画「新・エヴァンゲリオンシリーズ」でも言うことができよう。

 したがって、私が本作品で殊に注目したのは、こうした鶴巻の良くも悪くも特徴のある構成手法が、どのような変遷をたどることになるのか、という一点である。言うまでもなく、鶴巻の手法が悪いというわけではない。むしろ、印象の強いシーンを撮影すること、そして半ば省略的にそれらのシーンをつなぎ合わせる手法に要されるのは監督としての鋭敏なセンスであるからして、これを認めないわけにはいかない。ただ、鶴巻が本作品において、解り易い構成にするのか、すなわち、ある意味で芸術的な作品づくりから大衆に迎合する向きをみせるのかということは、今後もその動向を注目したい一介の視聴者として、断然見逃すことができないというわけである。
 

「龍の歯医者」の滑り出し

 龍という超常の生物が存在するハイ・ファンタジーな世界を描くのに、掴みはよい。特に、地図の上を船が並走しているシーンからの滑り出しは、現状の把握のし易さのみならず、事態が緊迫していることを視聴者に伝える。これから激しい戦闘が始まることを、戦艦の絵ではなく、地図上の絵による描写によって間接的に予感させることで、始まったばかりで弛緩している視聴者の気持ちを、無理なく引っ張り上げようという流石の演出手法である。

 そこから変わって、本作の主人公である「岸井野ノ子」が起床するシーンなどは、音の使い方が巧い。雲の上であるらしく、背景は真っ白に塗られているのだが、肌に水を打つ音を高くするのは、より静謐な、荘厳な雰囲気を演出することに成功している。この静謐さは、「竜宮」と呼ばれる御殿が存在することや、「禊」という神事を経て「歯医者」になることと無関係ではあるまい。また、オープニング・テーマを挿入するシーンは、秀逸だろう。カメラをゆっくりと引いていき、龍の歯の全体が映し出された頃には、視聴者の気持ちは心なしかはやっているに相違ない。

 さて、このように素晴らしい滑り出しを見せてくれた本作だが、実のところ、鶴巻の監督作品であるのだからこれぐらいは、という思いもあった。決して低くはないハードルだが、鶴巻にとって、この高さでは記録として残るまい。せいぜい、「岸井野ノ子」に声をあてた清水富美加の、意外なほどに光る才能ぐらいが、後まで語られる種ではないのか。

 紙面上、ひとつひとつのシーンに注釈をつけていくことはできない。以下からは総括的に述べることにする。



総括 ネタバレあり



工事中



だいたいここって、メイプルストーリーのブログじゃないの?メイプルのメの字も出てきやしねえ。

そう思った、そこの貴方!!!!

おわびのサービスショットだ (SSだけにね)。



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